印刷用表示 |テキストサイズ 小 |中 |大 |朝の学舎制作委員会のサイトへようこそ Welcome to our Web Site
天竜川が氾濫した時の測量の起点となった名木 天竜川河畔の小高な場所たつ樹齢200年(二代目)の桜です。樹高約10メートル。対岸にある伯先桜(江戸時代の儒医中村伯先宅にある枝垂れ桜)とこの木を結んで測量の起点になっていたそうです。
戸時代から受け継がれる伝統の和傘 喬木村特産の和傘で精巧なつくりで知られる。江戸時代から受け継がれ大正時代には家内工業として発展。最盛期には100戸ほどで年間30万本が製作された。現在は一軒を残すのみ。
田園風景をゆったりと走るJR飯田線の名所 伊那谷は日本の代表的な田切地形。中田切川と与田切川をJR飯田線の列車が通過する際、Ω(オメガ)の形にゆったりと走ることで知られる。水田に列車や山並みが倒影する光景は圧巻。
数百年前から大切受け継がれる坂部の祭り 「冬祭り」をはじめ、800年も前から数々の祭りが伝わる天龍村坂部。祇園祭りは、茅ダカラとカラコモチを神々に捧げ、人形(ひとがた)の紙に名前や家内安全などと書いて川に流す。直会では、カラコモチや季節の伝統野菜を囲炉裏で焼いて振る舞う。
権兵衛峠の木曽山用水の水枡検査 伊那市の西箕輪地区では、古くから農業用水の確保に苦労し、明治時代に権兵衛峠の反対側にある木曽谷に流れ落ちる奈良井川から水路を築いた。この水は木曽山用水として今も西箕輪の田畑を潤す。
高遠藩も珍重した和硯の名品 龍渓硯は粘板岩から彫り上げた精巧なつくりで、かつては高遠硯、伊那硯とも呼ばれ全国に流通していた。今では工房は2軒だけとなった。深澤淡齋さんの工房で美しい硯と出会った。「シリーズ職人の手」
一家の夢が実現 天竜川ライン下りの船着き場 半崎保道さんは16歳から修行を積んだ舟大工。昭和35年頃から父親と妹と3人で、天竜川ライン下りをはじめた。舟下りは次第に評判を呼び、最盛期には年間12万人が訪れるまでになった
故郷への思いで再興した古道と高座岩 北原厚さんは、災害で集団移住した伊那市高遠の芝平(しびら)出身。故郷への強い思いから、小さな頃よく歩いた古道、法華道の復興に乗り出した。一人で笹薮を刈っていくと、子供の頃歩いた記憶があるS字カーブが現れた。
水辺環境の指標 生息に必要な水辺と森 治部坂高原にある小さな池、亀の池の周囲の森林は、梅雨時を迎えると白い卵塊に覆われる。これはモリアオガエルの卵で、水辺に枝がかかった高い木にカエルが登って産みつけたものだ。
伐採の運命から守られた樹齢200年のブナ林 中央アルプス経ヶ岳山麓の帯無山には、樹齢200年ほどのブナ天然林が広がっている。この林は、カラマツ植樹のため一度は伐採される運命にあった。地元住民の運動で守られた林の一番大きな木、ブナ太郎に会いに出かけた。
古人が難工事で築いた用水路のいま 古くから米所として知られる下條村。山田河内地区の高台に、江戸時代に築かれた三墓の井水(用水路)があります。高齢化で稲作の後継者がいなくなる中、古い井水のいまを見つめました。
人形浄瑠璃の宝庫伊那谷で唯一人の人形師 牧本寿亮(としすけ)さんは、長野県で唯一の人形浄瑠璃の人形師。自宅の工房で、絡繰りや人形づくりの様子を見せていただきました。
地区挙げてつづける月待ち信仰のお祭り 十五夜、二十二夜、二十三夜。日本に昔から伝わる月待ち信仰です。手良野口では、百庚申と産泰宮のある辻に夕方集まり、お宮を開帳し祈りを捧げた後、飲食を供にして二十二夜の月の出を待ちます。
▲ ページトップへ HOMEに戻る