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「こんにちは伊那谷」は1回2分半の映像シリーズです。伊那谷各地の残したい風景、伝えたい言葉、小さなお祭りや職人さんなど、ふるさとのいまを伝えます。上伊那、下伊那を巡る「小さな旅」をお楽しみ下さい。


喬木村阿島

江戸時代から受け継ぐ伝統の和傘づくり

里山を訪ねて 2013年7月11日放送

阿島傘は喬木村特産の和傘。精巧なつくりで全国的に知られる。大正時代の最盛期には100戸ほどが年間30万本を製造。戦後は、洋傘(コウモリ)の普及などで次第に生産本数が減り、現在は1軒のみ。
2013静止画 阿島傘9.jpg
「阿島傘の会」は、阿島傘の研究、伝承、保存活動を進めており、会員は50人ほど。阿島傘伝承館で展示をしているほか、地区の傘づくり名人を招いて、講習会などを開催している。


2013静止画 阿島傘20.jpg

阿島傘 データ

伝承:展示等は阿島傘伝承館 
喬木村特産の和傘 長野県の伝統工芸品   
洋傘とはひと味違った風合いと美しさ
連絡先:阿島傘の会

番傘やジャノメなど、歴史と伝統を感じさせる阿島傘。阿島一帯には、傘の骨につかう真竹が多く生え、近くに和紙の産地があったことなどから村の特産となった。その製造工程は多岐にわたり、熟練した技は勿論、傘づくりには道具や各種材料が欠かせない。洋傘に押されて生産本数はめっきり減ったが、雨の日に傘をさしたときの手触りや雨音、風情などを好む隠れたファンも多い。

阿島傘 ミニスライドショー

2013静止画 阿島傘17.jpg

阿島傘の伝承に力を注いでいます

阿島傘の会開帳 小林武司さん(85)

阿島傘の会では、阿島傘伝承館を拠点に、展示や傘づくりの講習などを開いています。今では、傘をつくる熟練のお年寄りの数が減りましたが、阿島特産の傘を後世に伝承していきたいと活動をつづけています。

子供の頃から親を手伝って主に骨つなぎの作業を繰り返してきた小島泉さん(88)や、傘屋を営む家に嫁ぎ、主に傘張りの作業をしてきた中川芳子さん(87)などの熟練者を講師に迎えています。

雨の日にさしてみないとわからないとは思いますが、洋傘とはひと味違った良さがが、阿島傘にはあると思います。
最近では地区外の人も講習に来てくれるようになってきましたが、伝統の技を後世にいつまでも残るよう、活動をつづけていきたいと思います。







周辺地図 「阿島傘伝承館」 喬木村阿島周辺

阿島傘の歴史

阿島傘の由来は、江戸時代中期に幕府旗本慶長6年(1601年)以来江戸幕府の命で浪合の関所を守っていた知久氏知行していた信濃国伊那郡阿島村(現代の喬木村)において、ある春の日に当地を訪れた僧侶が阿島氏の関所の前で倒れ、関守がこれを看病したため、その謝礼として和傘の製法を伝え、やがて今日の喬木村の特産物となったというものである。

知行していた知久氏は、阿島傘を製作するうえで必要な材料の全てが知行地内に産することに着目し、この地の産業として普及に努めた。阿島傘の精度は高く、名声はしだいに遠隔の地まで届くようになった。
大正時代には家内工業として発展し、最盛期には100戸ほどで年間30万本が製作された。昭和に入ると生産地の不況と産地間競争、戦後は洋傘の普及によって次第に生産本数を減らし、現在ではわずかに1軒を残すのみで、3000本程度の年間出荷量である。
 Wikipediaより抜粋


アクセス 松川ICと飯田IC

阿島傘伝承館 JR飯田線元善光寺駅から車で10分、中央自動車道飯田IC・松川ICから車で30分
阿島の大藤まで徒歩5分。