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「こんにちは伊那谷」は1回2分半の映像シリーズです。伊那谷各地の残したい風景、伝えたい言葉、小さなお祭りや職人さんなど、ふるさとのいまを伝えます。上伊那、下伊那を巡る「小さな旅」をお楽しみ下さい。


伊那市手良野口

月待ち信仰の小さなお祭り

里山を訪ねて 2013年9月27日放送

手良野口でつづく二十二夜様、地元では「野口の二夜様」と呼ばれています。素朴お祭りですが小さな露天のお店も出て、村人でにぎわいます。夕方から月待塔や開帳された産泰宮で祈りを捧げ、飲食をともにして月の出を待ちます。
HP静止画2013-二夜様7.jpg
長野県では珍しいお宮の産泰宮(さんたいぐう)では、若いご夫婦が安産の祈願をしていました。


HP静止画2013-二夜様12.jpg

野口の二十二夜様

場所:野口の百庚申(ひゃくこうしん)と産泰宮(さんたいぐう)のある辻
日時:毎年八月の十五夜から1週間後の二十二夜   
行事:月待塔や産泰宮にお参りをし、飲食を供にして月出を待つ
近隣:高遠や伊那市でも二十二夜様が残っている

二十二夜様が行われる野口の辻には、二十二夜、二十三夜などの月待塔のほか、庚申塔がずらりと並んでたつ百庚申と呼ばれる石塔群があります。地元の人の話では、江戸時代に活躍し、全国的に有名な高遠石工(たかとういしく)の弟子たちが手良地区に数多く住んでいたということで、野口には八十八観音など、石仏も数多く残されています。

二十二夜様 ミニスライドショー

HP静止画2013-二十二 インタ.png

古くから民間信仰の盛んな地域です

手良在住の郷土史家 宮原達明さん

この地域は古くから民間信仰の盛んな地域で、御岳講などの山岳信仰や様々な「講」があったところです。
「野口の二夜様」は、長く木曽御嶽山と西駒ヶ岳を祀る組織「両山講」が続けてきましたが、平成4年から野口区の行事として行われるようになりました。
月待ち信仰は、民間信仰として各地残っていますが、ここ手良野口では「野口の二夜様」として旧暦の7月22日にこの場所で行われてきたものです。

二十二日の夜、人に見られない場所で明るいうちから立って月を待ち、月の出を待って願い事をすると、一生に一度だけ願いをかなえてくれる、という言い伝えもあるようです。


周辺地図 「二十二夜様」 百庚申 伊那市手良野口周辺

月待塔

月待行事とは、十五夜、十六夜、十九夜、二十二夜、二十三夜などの特定の月齢の夜、「講中」と称する仲間が集まり、飲食を共にしたあと、などを唱えてを拝み、悪霊を追い払うという宗教行事である。

文献史料からは室町時代から確認され、江戸時代文化文政のころ全国的に流行した。板碑としては埼玉県富士見市嘉吉3年(1441年)のものを初見とする。
特に普及したのが二十三夜に集まる二十三夜行事で、二十三夜講に集まった人々の建てた二十三夜塔は全国の路傍などに広くみられる。十五夜塔も多い。群馬栃木には「三日月さま」の塔も分布しており、集まる月齢に関しては地域的な片寄りもみられる。  (Wikipediaより)



アクセス 伊那IC 

伊那IC下車、車で約15分。手良小学校前から野口方面へ向かう。