先人に感謝し、美味しいお米をつくります
西箕輪中条・上戸区から参加した鈴木光市さん
今では水が豊富に使えるんですけど、先人の方々はこの水を苦労して苦労して持ってきたわけです。
先人に感謝しながら、今年もいい米をつくりたいと思います。
また、中条・上戸の水にこうした歴史があることを、子供たちや後世に伝えていきたいと思います。
周辺地図 「アルプスを越えた水」 伊那市権兵衛峠周辺
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「こんにちは伊那谷」は1回2分半の映像シリーズです。伊那谷各地の残したい風景、伝えたい言葉、小さなお祭りや職人さんなど、ふるさとのいまを伝えます。上伊那、下伊那を巡る「小さな旅」をお楽しみ下さい。
水枡検査は年一回、権兵衛峠の水枡と小沢川北沢上流の水枡の2カ所で行われる。ピンポン玉を流して流速などを計り、決められた水量が流れているかなどを検査する。
先人が苦労を重ねて水路を築き、木曽谷から伊那谷へ。中央アルプスを越えた水は、今も伊那谷の田畑を潤しつづけています。
場所:水枡検査 権兵衛峠の水枡(木曽側) 小沢川上流の水枡(伊那側)
日時:毎年6月上旬
内容:水利権を持つ松本市、塩尻市の人々と水を使っている伊那市の関係者が 集まり、決められた流量が流れているかなど検査する。
歴史:明治9年(1876)から木曽山用水の使用開始
伊那市と木曽を結ぶ権兵衛峠は日本海と太平洋の分水嶺で、木曽山用水はこの分水嶺を越えて流れる農業用水路です。約140年間にも渡る試行錯誤の末、明治6年、奈良井川の 源流である白川から権兵衛峠を廻る12キロにも及ぶ水路が完成しました。一定量の水を確保するために「水桝」 (みずます)を造り、明治8年に筑摩県令により協定を結び管理しました。これにより、この水を小沢 川に流し、同量の水を再び小沢川から上戸中条井(あがっとなかじょうい)へ取り込みすることができるようになり、西箕輪の台地が広く開田されました。現在でも水量を計る「水桝検査」が行われています。
アルプスを越えた水 ミニスライドショー
今では水が豊富に使えるんですけど、先人の方々はこの水を苦労して苦労して持ってきたわけです。
先人に感謝しながら、今年もいい米をつくりたいと思います。
また、中条・上戸の水にこうした歴史があることを、子供たちや後世に伝えていきたいと思います。
周辺地図 「アルプスを越えた水」 伊那市権兵衛峠周辺
権兵衛峠の頂上右手300メートルほどの所に、苔むして落ち葉に埋もれているが、伊那用水路(木曽山用水)の水枡や水路の跡が残っている。伊那、特に西箕輪(にしみのわ)の人々にとって用水の有無は死活問題であったという。この水不足を解消するために、明治8年奈良井川上流奥白川からこの峠まで延々12キロを引水し、この水枡で水量をはかった。その後、水路は幾多の改良を経てきたが、昭和34年の台風災害以来水路の維持が困難となり廃止された。現在は昭和43年完成の木曽山隧道(ずいどう)を利用して水を引いている。 塩尻市HPより
伊那IC下車(約10分)。伊那市内からともに車で10分ほどで権兵衛峠の麓(ふもと)の上戸(あがっと)、中条(なかじょう)集落。
権兵衛峠へ至る国道361号線は、権兵衛トンネルが出来てから国道指定をはずれ旧道になった。季節等によりゲート閉鎖となるので注意。
権兵衛峠の頂上近くにある水枡は現在は使用されていない。