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「こんにちは伊那谷」は1回2分半の映像シリーズです。伊那谷各地の残したい風景、伝えたい言葉、小さなお祭りや職人さんなど、ふるさとのいまを伝えます。上伊那、下伊那を巡る「小さな旅」をお楽しみ下さい。


下條村山田河内

 先人が苦労して築いた井水のいま

里山を訪ねて 2013年9月13日放送

三墓の井水(いすい=用水路)は、江戸時代安政年間に高台の新田開発のため、地元の人々が苦労を重ねて築いた。場所によっては空中に水路が浮かんでいるところもあり、三墓の素朴な景観に溶け込んでいる。
HP静止画2013-三墓10.jpg
元は土や木の水路であったが今はコンクリートとなった。4町歩の水田で各家が貴重な水を使うため、24時間交代での水番を置くなど、昔から苦労を重ねて維持管理に努めてきた。写真は、三墓の稲作の中心、斉藤登さん(81)


HP静止画2013-三墓9.jpg

三墓の井水 データ

歴史:安政年間に造られた
長さ:4.3キロ   
現在:4町歩の水田を潤す
課題:井水の維持管理(高齢化による)

 山田河内中島地区の先人が、難工事の末築き上げた三墓の井水。はじめは土水路であったため、水が漏れないように作業を重ねたり、一軒1時間と決めた水の取り込みを見張るため、水番を一昼夜置くなど、言葉ではいえない苦労を重ねて維持管理してきた。    かつては20軒ほどの農家が稲作を行っていたが、今では、高齢化により水田をつくる人が減り、4町歩のほとんどの水田を81歳になる斉藤登さん、みすずさん夫妻2人がつくっている。

三墓の井水 ミニスライドショー

HP静止画2013-三墓14.jpg

井水を守れるかどうか、秒読みに入りました

長年三墓で水田をつくる 代田司郎さん(83)

この井水を地域の人の力で長年守ってきました。
もうしばらくたったら、この井水を維持管理できるかどうか…。いま、やんやらやっと八十のじい様、ばあ様でやっとるわけなんだけれども、この井水が守れるか、守れんかというのは、秒読みの時間に入って来たと思います。

高齢化が進み、この地区の稲作も今後どうなっていくのか、先人が苦労して築いた貴重な井水には感謝あるのみですが、一方で皆が苦労をつづけてきた思い出ばかりです。






周辺地図 三墓の井水 下条村山田河内三墓周辺

下條村の歴史

 下條村は、下伊那に2社しかない式内社の大山田神社が置かれ、奈良時代より拓かれた村です。村名は、室町時代のはじめ甲斐の国(現・山梨県)からこの地に入り、室町中期から戦国期に全盛を極めた下條氏に由来します。

 江戸時代14村あった村が明治8年、合併の気運が高まり、睦沢村(むつざわむら)と陽皐村(ひさわむら)の2村となりました。その後、有力町村を造成することを趣旨に県の町村合併案が策定され、これに基づき、明治22年4月1日両村が合併して現在の下條村が誕生しました。 (下條村HPより)

 
  


アクセス 飯田山本IC経由 三遠南信道天竜峡IC

飯田山本IC経由で天龍峡IC下車、国道151号 車で約10分
最寄りの駅:JR飯田線唐笠駅、天龍峡駅