立派な松林は氏子や総代の皆さんの管理のお陰
高烏谷神社 責任総代 下平 紀六さん
氏子の皆さんや、総代の皆さんが参道周辺に手を入れるなど管理をしてくれているので、立派な松の木、松林が維持できているのだと感謝しています。
これだけの神社や参道を持っているということは、東伊那の人間として誇りに思っていいんじゃないかと考えています。
周辺地図 「高烏谷神社」 駒ヶ根市東伊那高烏谷周辺
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「こんにちは伊那谷」は1回3分の映像シリーズです。伊那谷各地の残したい風景、伝えたい言葉、小さなお祭りや職人さんなど、ふるさとのいまを伝えます。上伊那、下伊那を巡る「小さな旅」をお楽しみ下さい。
高烏谷神社の参道は、神社入口の石鳥居から本殿前までの間二百メートルほど。参道の周囲は深い社叢に覆われ、参道の両側に立ち並ぶ赤松が圧巻です。
神社で毎年執り行われる矢納めの神事は、正徳二年(1772年)からつづく伝統の行事で、古式に則って裃(かみしも)姿の弓子が一生に一度だけ大的に向かって弓をひきます。
樹齢:300年余
樹高:20数メートル
本数:40本余
長野県天然記念物
高鳥谷神社里宮はその西南に向かった中腹斜面(950m)に位置し、その境内の面積は11,539平方メートルで、社叢全域がよく育った針葉樹の老大木で埋めつくされている。樹種は、樹齢300年を超えるものも含むアカマツが全体の約3割をしめ、他にヒノキ・サワラ・スギ・モミ等の古木で美林を形成している。
特に参道に並び繁る40余本のアカマツは伸びがよく、その樹肌は赤褐色に輝き、老松の特性を発揮し美しい。県下でもこのように樹肌の美しい老大木が揃っていることは珍しく、この社叢の特色といえる。
また、林床には、アスナロの幼木が多数みられることも、伊那谷では特筆すべきものである。駒ヶ根市HPより
高烏谷神社のアカマツ参道 ミニスライドショー
氏子の皆さんや、総代の皆さんが参道周辺に手を入れるなど管理をしてくれているので、立派な松の木、松林が維持できているのだと感謝しています。
これだけの神社や参道を持っているということは、東伊那の人間として誇りに思っていいんじゃないかと考えています。
周辺地図 「高烏谷神社」 駒ヶ根市東伊那高烏谷周辺
高烏谷山(1,331m)は、陣馬形山・戸倉山と共に南アルプス(赤石山脈)の全面に並走する伊那山脈の主峰の一つである。山頂を大嶺(おおみね)といい、高烏谷天狗(猿田彦命)を祀り、近郷の信仰を集めてきた。現在山頂にある石造の祠(奥宮)は、明治12年(1923)の造立で、東伊那五箇村の氏子が、分割して橇(そり)に乗せ頂上に運び上げたものである。高烏谷神社の起源については一つの伝承がある。
「往昔、貝沼村北林に井上掃部(かもん)と云へる地侍(ぢざむらい)あり。一日山野に出猟せしに、黒雲油出(ゆうしゅつ)雷電天地を震(ふる)ひ、大雨沛然(はいぜん)として至り、掃部帰路を失ひ野宿することニ昼夜、精神ために朦朧(もうろう)たり。則(すなわ)ち猿田彦命に信願し、吾を無事帰宅せしめ給はゝ高烏谷山の絶頂に一社を創建せんと、此の時恰(あたか)も天晴れ雨やみ、山鳥掃部の眼前に顕(あら)はれ、掃部之を捕へんとすれば遁れ、其の跡(あと)を追いつゝいつしか我家に至れり。よりて神願の霊験に感じ、山頂に神殿を営みたり」(『上伊那郡史』大正10年刊より)
高烏谷は鷹栖(巣)屋(たかすや)で、往昔ここに鷹を得た山ではないかともいわれる。長谷村非持には鷹飼の名手検校豊平(けんぎょうとよひら)の話が伝わっている。(『古今著聞集(ここんちょもんしゅう)』)。 駒ヶ根市HPより
駒ヶ根IC下車(約25分)。中央アルプスを背に駒ヶ根市の市街地を抜け、南アルプス方面へ。天竜川を渡り東伊那方面(火山峠)へ。高烏谷神社の入口は少し解りにくいので、火山峠の街道沿いにある産直店などで聞くと良い。高烏谷集落に入ると小さな道標があり、それを頼りに高烏谷山方面に登る。
最寄りの駅:JR飯田線 駒ヶ根駅