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「こんにちは伊那谷」は1回2分半の映像シリーズです。伊那谷各地の残したい風景、伝えたい言葉、小さなお祭りや職人さんなど、ふるさとのいまを伝えます。上伊那、下伊那を巡る「小さな旅」をお楽しみ下さい。

  伊那市美篶

江戸時代に高遠藩が築いた農業用ため池

里山を訪ねて 2012年8月30日放送

160年ほど前に高遠藩が築いた農業用ため池「六道の堤」は、今も伊那市美篶に広がる広大な田園地帯を潤す貴重な水瓶です。
静止画 六道の堤 3.jpg
堤の周囲には桜の古木が多く、お花見や撮影ポイントとして人気があります。(写真はクレーン上から魚眼レンズで撮影、背景にうっすらと中アの残雪が浮かんでいます)


静止画 六道の堤 5.jpg

六道の堤 データ

築造:嘉永元年(1848年) 
所在地:伊那市美篶笠原 (別名:笠原の堤)   
見所:堤を囲む桜の古木と中央アルプスの眺望
歴史:古くはスケートリンクの六道リンクとして親しまれた。冷蔵庫のない時代、氷の切り出しにも使われた。

堤と井筋の建設に関わる人足は1万人以上だったとも言われ、高藤藩の大工事でした。昭和初期までは、六道リンクとも呼ばれ、スケートリンクとしても親しまれました。中央アルプス、南アルプスをのぞむ桜の名所としても知られています

六道の堤 ミニスライドショー

静止画 六道の堤 2.jpg

昔の人たちは、ほんと偉かったですね

堤を築いた塩原一族の子孫 塩原敬治さん

昔の人たちは、ほんと偉かったと思いますね。先輩たちが、道具もない色々ない中で、これだけのものを築いてくれたということは本当にありがたいことです。
それをまた、我々が守っていかんくてはならないと思い、地元のみんなで動いています。先輩たちが苦労して築いたものを、書くものにも残して、若い衆にも伝えていきたいと思っています。


周辺地図 「六道の堤」 伊那市美篶笠原周辺

六道井と六道の堤

嘉永元年(1848)高遠藩主、内藤頼寧(ないとうよりやす)は六道原の開墾を行いました。 計画は野笹村(現在伊那市高遠町長藤)の藤沢川から取水し、鉾持桟道(ほこじさんどう) 脇をトンネルで通過させ、芦沢に出て笠原を通り、六道原に至る約10kmの新しい水路を 造るものでした。同年3月に着工し、わずか半年で完成しました。当初は六道の堤の建 設予定はなく、工事中に上大島の名主、利右衛門等から六道原開発の要求が出され、それ が六道の堤の建設、ひいては末広村(現在の美篶末広)の開発に繋がりました。工事は嘉 永2年に始まり、同4年9月に完成。末広の名は、頼寧が命名したといわれています。「まほらいな いいとこ 百選」に認定されています。
堤には、漂白の歌人と言われた井上井月が六道の堤を詠んだ「どこやらに鶴の声聞く 霞かな」の句碑があります。 (伊那市の案内文より) 


アクセス 伊那IC

伊那IC下車、伊那市の市街地を抜け国道361号線経由で高遠を目指す。(約20分) 笠原入口の案内標識を左折。
最寄りの駅:JR飯田線 伊那北駅、伊那市駅
JR伊那市駅、伊那北駅から高遠線(JRバス関東)に乗り、笠原下車。