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「こんにちは伊那谷」は1回3分の映像シリーズです。伊那谷各地の残したい風景、伝えたい言葉、小さなお祭りや職人さんなど、ふるさとのいまを伝えます。上伊那、下伊那を巡る「小さな旅」をお楽しみ下さい。


飯田市

絹織物に魅せられて

シリーズ職人の手 2015年8月20日放送

飯田紬(いいだつむぎ)の名工小栗弘平さんと妻の薫さん
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千三百年前の中国の絹織物「太子間道」を6年がかりで復元するなど絹織物一筋に歩んできた


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小栗弘平さん データ

名工:飯田紬の名工(三代目)
業績:飯田紬の名作 千年前の絹織物「太子間道」の復元 
   長野冬季五輪の豪華本表紙など
現状:一線を退き研究所を地域に開放、手機などの技術を伝えている   

家業を継いで絹織物職人三代目となった小栗さんは、絹織物の魅力に惹き付けられ本格的に研鑽を積んだ。インド、中国などを視察し6年がかりで復元した千年前の絹織物「太子間道」(縦糸に1600本の絹糸を使い仏像の姿を織り込んだ聖徳太子に由来する絹織物)は生涯の代表作。長野冬季五輪では、公式写真集の表装を絹織物で製作した。

小栗弘平さん ミニスライドショー

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修行に来た人たちが必ずやってくれる

小栗織物研究所 小栗弘平さん(83)

もうできません、身体が動きません。こういう絹織物はもうできません。絹織物は本当に素晴らしいもので、こうした素晴らしい織物を後世に伝えていきたいと言う一心でやってきました。私のところを継ぐものはいませんが、何十年もの間全国からたくさんの人たちが修行に来ていました。そういう中から必ず(素晴らしい絹織物の製作を)やってくれると信じております。



周辺地図 「小栗織物研究所」 飯田市伝馬町 周辺

小栗弘平さんのレポート 太子間道

 「太子間道(広東小幡)」の絵図面が掲載されていた「世界美術館全集・東京国立博物館Ⅱ」(講談社刊)が1967(昭和42)年の発行ですから、そのころですね。「太子間道」は法隆寺や東大寺正倉院に残されている代表的な絹絣(きぬかすり)織物の一種で、経糸(たていと)によって絣柄(かすりがら)で縞を表現しているのが特徴です。経糸は1センチ間に約50本、緯糸(よこいと)は1センチ間に21本。経糸が細く密度があります。約1300年前にどのような技法で作っていたのかはわかりませんが、いつかはこの「太子間道」を織ってみたいと思いました。

 きっかけはインドにありました。1979(昭和54)年に、日印協会主催で染織服飾研修の企画があって、インドとスリランカへ行ったんです。
 当時は先染め紬織物を主とする研修旅行が毎年あって、国内の先染産地は大半回っていたのですが、各地の絣を中心とする織物を見聞すると、今度は絣の源流点とも言われるインド・インドネシアの伝統的な絣「イカット」について知りたいと思うようになって…そんなときにタイミングよく研修の企画があったので、参加することにしたんです。
 滞在中に、パタンという町にある工房を訪ねたのですが、そこでは、インドで最高級の絹の経緯絣(たてよこがすり)「パトラ」をインドの人間国宝ともいうべき称号を受けた職人が織っていました。私は経緯絣の源流を見た思いがしましたね。そして、織りの様子を見ているうちに、「太子間道」の謎が解け始めたように思いました。
 その後、国会図書館で調べたり、「太子間道」の原寸大の写真が掲載された本を見たりして、これまでの経験を活かせば私が織り上げることも可能と判断して「太子間道」の制作にとりかかりました。満足できるものに仕上がるまでには時間がかかりましたよ。結局、7年近くかかって技法をマスターして、作り上げました。


 

 
しあわせ信州 長野県魅力発信ブログHP より抜粋 

 







アクセス 飯田IC

中央道飯田IC下車、飯田市内に向かい県道229号線で飯田警察署入口の信号から浜井場の信号を過ぎると左手