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「こんにちは伊那谷」は1回3分の映像シリーズです。伊那谷各地の残したい風景、伝えたい言葉、小さなお祭りや職人さんなど、ふるさとのいまを伝えます。上伊那、下伊那を巡る「小さな旅」をお楽しみ下さい。


飯島町本郷

桃沢家の歴史とともに

巨樹を訪ねて 2015年8月6日放送

伊那谷南部では、表にカシの木を植え、裏にカリンの木を植える「貸しても借りん」と言われる風習がある。
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樹齢300年の大シラカシは、桃沢家の庭先に立つ。


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南羽場のシラカシ データ

樹齢:推定500年
樹高:12メートル
幹周:3,5メートル   
見どころ:江戸時代に建てられた桃沢家の母屋と風格漂う巨樹の姿

南羽場のシラカシは、地名から呼ばれているもので、飯島町本郷の旧家桃沢家の庭先に立っています。桃沢家は江戸時代の家人桃沢夢托(むたく)を輩出した歴史の古い家柄で、かつてはこのシラカシに天蚕(山繭)を放ち、生糸をとって織物にしたという言い伝えが残っているそうです。

南羽場のシラカシ ミニスライドショー

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長い間同じところでご苦労様

桃沢家当主 桃沢匡行さん

この辺ではヤマメと呼ぶんですけれど天蚕を山に行って採ってきて、この木に放してね、この木の葉を食べさせて繭をつくらせて、紬(つむぎ)をおばあさんが織ったようですね。
 樹齢500年を数えるということだけれど、長い間同じ所でご苦労様、と言うよりほかないんじゃないですか。


周辺地図 「南羽場のシラカシ」 飯島町本郷 周辺

桃沢家は伊那谷の二十世紀梨の草分け

 当園は、長野県伊那地方における梨栽培の草わけで、当園の創案した梨の盃状棚仕立法は、果実の品質に優れ、収量も多く、我が国の梨栽培に大きな貢献をしてまいりました。皆様に御満足頂けます様、二十世紀梨をはじめとした果物作りに励んでまいります。

桃沢晴香園HPより

桃沢匡勝
桃澤 匡勝(ももざわ まさかつ、1906年4月18日 - 1989年1月)は、長野県上伊那郡飯島町本郷出身の落葉果樹栽培研究家。上伊那農業学校、農林省興津園芸試験場を経て、果実経営に取り組む。梨の盃状棚仕立て法を確立するとともに、果樹生産の組織化、計画出荷に尽力。長野県園芸農業協同組合連合会会長、日本園芸農業協同組合連合会理事、農林省農林水産技術会議専門委員等を歴任。

梨の桃澤式盃状棚仕立法
日本の梨栽培では、台風による果実の落下を防ぐため、いづれの産地でも棚仕立法を採用している。平坦地の棚仕立法としては、主幹を棚の真下まで伸ばし、主枝を水平にする関東式と、主幹の長さをやや短くとり、漏斗状に主枝を配置する関西式が主なものであった。
桃澤式盃状棚仕立法は、主幹を短くし(主幹が短いほど樹勢が強い)、その上に四本の主枝を三年間直立させ(枝は立っているほどよく伸長する)、四年目の春に垂直に伸びた主枝を倒して均等に配置し、棚付けすることによって、養水分の流動を容易にし、枝の太さに差の少ない骨組みを作るというものである。桃澤は、主枝上に配置する亜主枝、側枝などの形成、配置も無理が無く、機械的に整枝する手法も開発し、指導することに成功した。これらにより、葉で合成された養分が均等に配分され、果実の肥大が良好で、場所による品質差もほとんどない高い商品性の果実を生産する成果をもたらした。
盃状形整枝はニホンナシの棚仕立ての理想型の一つであるが、主幹周辺部の枝が低いためにその付近へ機械が入りにくいこともあり、関東を中心とした平坦地の赤ナシ地帯では盃状形より主幹の高い折衷式が現在主体となっている。しかし主枝の伸長に当たり、主枝を垂直に立てるという桃澤式の考え方は折衷式にも採り入れられており、その技術は今でも各地で生かされている。

wikipediaより抜粋







アクセス 駒ヶ根IC 松川IC

中央道駒ヶ根ICまたは松川IC下車、国道153号線経由で本郷の信号を天竜川方面に折れ、初めの路地を右折(ICから20分ほど)