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「こんにちは伊那谷」は1回3分の映像シリーズです。伊那谷各地の残したい風景、伝えたい言葉、小さなお祭りや職人さんなど、ふるさとのいまを伝えます。上伊那、下伊那を巡る「小さな旅」をお楽しみ下さい。


中川村

美しいアーチ橋、断崖絶壁をつなぐ夢の架け橋

里山を訪ねて 2015年7月2日放送

長さ78メートルの鉄筋コンクリートアーチ橋は、日本有数の長さを誇る。
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昭和8年の竣工式には1万人の村民が詰めかけた。


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坂戸橋 データ

竣工:昭和8年4月
橋長:約78メートル   
橋高:約20メートル
見どころ:桜の名所と橋の美しさ 国の登録有形文化財

中川村は天竜川を挟んで2分されており、吊り橋で渡っていた坂戸峡の本格的な橋梁建設は村民の悲願でした。昭和8年4月の竣工式には、村民ら1万人が詰めかけ竣工を祝いました。

坂戸橋 ミニスライドショー

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いつまでも今の姿で

坂戸橋の袂(たもと)に住む、川島正純さん(81)

橋の袂に暮らしているんだけど、春になるとやっぱり桜を見に大勢やって来るね。有名な高遠の桜に対抗して中川を桜の村にしたいと言う計画があって今のような姿になったと聞いています。私も81年、橋は80年生きているんだけど、いつまで続くかわからないけど、100年でも今のままの姿で生きていってほしいね。




周辺地図 「坂戸橋」 中川村片桐周辺

坂戸橋

 

1933年に建設された鉄筋コンクリート製の単アーチ橋で、開腹式上路アーチ橋に分類される。
橋長77.8m、橋高20m、幅員5.5m、スパン70m、アーチライズ12mで[1]、建設当時は国内最大スパンを誇り、1965年(昭和40年)以前に造られた現存する鉄筋コンクリート製単アーチ橋としては現在も日本一の長さを誇る[2][注釈 1]
もともと渡船場であった坂戸に、通行の利便さ改善のため1887年に橋の建設が始まり、1889年に木製の「坂戸橋」が掛けられたのが始まりである。しかし、この木橋は「あばれ天竜」と呼ばれた天竜川の出水に耐え切れず、二度の流出に遭う。その後、出水対策として、1903年に吊り橋に架け替えられた。当時は1920年まで橋銭(通行料)を徴収して経営していた有料橋であったが、村人たちが寄付金を出し合って村が橋を買い取り、上伊那郡へ寄贈されて郡道となり無料開放された。その後、1923年には長野県道に格上げされた。しかし、創建当時の架橋技術に伴う維持管理の大変さや通行の危険さからコンクリート造りの永久橋への架け替え要望が高まり、1932年に長野県直営公共事業として架け替え工事が着工、矢作水力の資金協力を得て、1933年に現在の橋が完成した。建設当時はその長さが話題となり、当時の新聞は「東洋一の坂戸橋」と報道した[3]
太平洋戦争中は資源不足に伴う金属供出により、設置されていた親柱と街路灯が切り取られてしまい長らくそのままとなっていたが、1991年に地元地区有志の寄付により親柱と街路灯がほぼ創建当時のデザインで約50年ぶりに復元された[2]
橋の完成後は地域の人々により周辺の環境整備が進められ、ツツジが植えられた。その後官民一体の協力整備により、現在は満開の桜が橋詰をトンネルのように覆う桜の名所として知られている[4]ほか、坂戸橋の上下流一帯は「坂戸峡(さかどきょう)」と呼ばれる景勝地にもなっており、この名称は隣接する国道153号との交差点の信号名称にも採用されている。
昭和初期に建設された橋であるため、歩道が無く、道幅も狭い。歩行者に注意が必要なうえ、大型車のすれ違いは困難なため渡橋前に待機し譲り合うことも必要である。また橋詰左岸側は民家数軒が建つ急カーブ、右岸側は上り坂ですぐに信号機となっているので通行時の注意が必要である。
2010年1月15日、国土の歴史的景観に寄与しているとして文化庁有形文化財に登録された[5]。この登録は、長野県が管理する道路橋3,825橋の中で唯一の登録橋である[2]。また、信濃の橋百選にも選定された[6]
2011年4月には地元企業により右岸川上流部の国道153号沿いに坂戸公園が整備された[7]
Wikipediaより

アクセス 駒ヶ根ICか松川IC

名古屋方面からは松川IC下車(約15分)。東京・長野松本方面からは駒ヶ根IC下車(約20分)。いずれも国道153号へ進む。153号線沿いの橋の北川に駐車スペースあり。