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高遠石工は江戸時代、高遠藩の厳しい財政を助けるため、旅稼ぎとして全国で活躍しました。ほとんどの作品を旅先に残してきたため、つい最近まで地元でもその存在は詳しく知られていませんでした。石工は石仏を始はじめ、神社や仏閣などの石鳥居や石橋、石灯籠などをつくる職人で、高遠石工はこれまでに1300人もの名前がわかっています。
貞治作:延命地蔵菩薩 飯島町七久保
石仏をつくった石工の中でも、守屋貞治は名工として知られています。伊南(上伊那南部)には、貞治の作品や最近明らかになってきた守屋家代々の作品が数多く残されています。今回は、貞治の名作を中心に、高遠石工の足跡を伊南に訪ねます。
高遠石工の石仏の宝庫 伊南(上伊那南部)
高遠石工は江戸時代中期以降、石仏の名作を全国各地に残しています。中でも、名工と言われた守屋貞治の作品と守屋家代々の作品は、伊南地方に数多く残されています。貞治は、生涯336体の石仏を彫像しましたが、100体観音などのまとまった作品を除けば、40数体がある伊南地方が最も作品を残した地域と言えます。
貞治の石仏の周囲にある古い時代の優れた石仏たちが気になっていましたが、長年の調査研究の結果、貞治の祖父、守屋貞七はじめ守屋家代々の名工による石仏であることがわかってきました。
伊南地方のお寺や神社、庵やお堂には、必ずと言っていいほど、守屋家や高遠石工たちの石仏が鎮座しています。東西に南アルプスと中央アルプスを仰ぎ、天竜川が中央を流れる伊那谷は、自然が豊かなところです。こうした風景の四季とともに、野の石仏たちを訪ねていただきたいと思います。
守屋貞七作 地蔵菩薩
江戸時代に高遠藩所縁の石工として全国で活躍した。石仏のほかに、宝篋印塔や石灯籠、石鳥居、また城郭や田畑の石積みや建物の基礎など、河川などの石切りから石造物の彫像まで行った石工集団。
長野、山梨は勿論、群馬や神奈川など全国17都府県に作品が遺っている。