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「こんにちは伊那谷」は1回3分の映像シリーズです。伊那谷各地の残したい風景、伝えたい言葉、小さなお祭りや職人さんなど、ふるさとのいまを伝えます。上伊那、下伊那を巡る「小さな旅」をお楽しみ下さい。

伊那市

三峰川を天の川に見立てた七夕祭り

里山を訪ねて 2016年7月21日放送

「さんよりこより」は 三峰川を挟んだふたつの天伯社で行なわれる七夕祭り
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竹飾りを手にした子供たちは鬼に扮した二人の大人のまわりを「さんよりこより」と叫びながら回り、最後に鬼をたたいて退治します。


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さんよりこより データ

歴史:足利時代 文明4年(1472)から続く(伝承) 
場所:美篶川手(上川手・下川手)の天伯社と富県櫻井の天伯社    
開催日:毎年8月7日
見所:両天伯社の子供たちの鬼退治と御神体の御輿が三峰川を渡る場面

室町時代の応永34年(1427年)、上流の藤沢片倉(三峰川の支流の藤沢川上流)に祀られた天伯様が洪水で下流の富県桜井に流れ着き、その後の洪水で今度は対岸の美篶川手に流れ着きました。それが縁で、両神社に天伯様を祀ったとされています。その後、川を挟んだふたつの天伯社で七夕祭りが始まったとされています。御神体が三峰川を渡るのは、対岸の妃の神のもとへ逢いにいくためだと云われ、この日は川は絶対に荒れないと伝えられています。

さんよりこより ミニスライドショー

静止画2016-9-9.jpg

緑と一緒に水も ずっと奇麗でいてほしい

富県桜井会区長 鹿野剛さん

川向こうの川手地区の皆さんもあんな風にして川を御神輿を担い渡ってきてくださっているし、いろんな支えや繋がりがあって(このお祭りが)こんなに長くが続いていて、とても嬉しいことだと思います。
子供たちも、地域の人たちと一緒になって七夕のお祭りが出来て、ふるさとのいい思い出として記憶に残っていくことでしょうね。
ずっとずっと、緑と一緒にね、水も奇麗でいてほしいと願っています。





周辺地図 「さんよりこより」 伊那市三峰川周辺

さんよりこより

「さんよりこより」は、美篶の川手地区(上川手・下川手)の天伯様と、富県桜井の天伯様に伝わる七夕祭りで、毎年8月7日に行われます。
 伝承によれば、室町時代の中期、応永34年(1427年)、藤沢片倉(現高遠)に居られた天伯様が洪水によって富県桜井に流れ着き、その後再び洪水によって美篶川手に流れ着きました。これを縁として、桜井と川手に天伯様をお祀りしたのがはじまりとされ、足利時代の文明4年(1472年)から続いていると云われています。
 旧暦の七夕にあたる8月7日、色とりどりに飾り付けをした七夕の竹竿を手に、子供達が天伯社に集まります。大人2人が笠をかぶり、太鼓を持って鬼に扮すると、子供達は飾り竹を持って鬼を中心に円陣をつくります。子供達が「さんよりこより(さぁーよってこいよぉーの意)」と唱えながら鬼の周りをぐるぐる廻り、三周したところで鬼が太鼓を叩くと、子供達は手にした飾り竹で鬼を滅多打ちにします。洪水を起こす疫病神(鬼)を叩き潰し、洪水を鎮める神事とされ、3回繰り返されます。天伯の七夕祭が「さんよりこより」と言われるのは、この掛け声からきたものです。
 そのあと、御神体の御輿を担ぎ、行列をつくってそのまま三峰川を渡り、川手の天伯様から桜井の天伯様へ行きます。御神体が川を渡って来ると、桜井の天伯様でも川手と同様に「さんよりこより」が行われます。
 御神体(御輿)が三峰川を渡るのは年に一度、対岸の妃の神のもとへ逢いに行くためだと云われ、その日は絶対に三峰川は荒れないと伝えられています。三峰川を”天の川”に見立てた七夕のロマンスとも言えますが、本来は長い間沿岸の住民を苦しめてきた三峰川の洪水を鎮めるための神事であったものが、川を隔てた両天伯様の関係から七夕神話に結びつき、一体のものとして融合した行事であると思われます。
 
伊那市HPより




アクセス 伊那IC

伊那IC下車。アクセス道路を下り伊那市内から国道361号線で高遠方面へ、途中美篶地区で右手の三峰川方面に右折し川手地区の天伯社へ。富県桜井は三峰橋を渡って富県桜井を目指す。(ICから車で約20分)